最近歴史を改めて勉強しています。
今までは歴史と言えば、単語の暗記、教科書の暗記でした。
でも、教科書的な側面から離れて歴史を改めて勉強してみると、その面白さがわかってきたのです。
これも、自分が36年というある程度の歴史を重ねてきたからこそ、感じられた感覚だと思います。
歴史から学ぶこと
歴史とは、言ってしまえば勝者の記録です。
みなさんも知っている織田信長。
何だか怖いイメージがあると思います。
比叡山を焼き討ちしたり、
父親の葬式で、焼香をぶちまけたり。
性格は「鳴かぬなら、殺してしまえホトトギス」
逆らう者に対しては、容赦なく攻撃する。
そんなイメージがありました。
桶狭間の戦いで、今川義元を倒して天下統一となるわけです。
でも、疑問なのは、天下統一というものが、どの程度のものを指しているのかわからないということ。
今みたいに選挙があるわけではなく、テレビがあるわけでもないから、
九州の人たちや、東北の人たちは信長が天下を取ったことを知っていたかさえ疑問が残ります。
むしろ、僕が興味を持つのは、
・同時代に武田信玄、上杉謙信がいたこと
・彼のとった政策、特に経済方面
信長は愛知県にいたわけですが、山梨には武田信玄がいて、新潟には上杉謙信がいた。
そこで、もし、メールや電話があったらどうなったか、なんていう、IFの歴史を考えてみると面白いんです。
当時最強と言われていた上杉謙信。
彼が武田信玄と争ってばかりいないで、電話で、
「今度、一緒に組んでさ。信長を一気に倒しに行かないか?」
なんて相談してたら、おそらく信長は武田、上杉組に負けていたでしょう。
武田、上杉組が天下統一できなかったのではなく、
天下統一に興味がなかった。
自国を守り、安定させることに重きを置いていただけなんじゃないかとさえ思います。
たまたま、天下を取った織田信長。
経済政策では、楽市楽座が有名です。
らくいちらくざ【楽市・楽座】
戦国時代から安土桃山時代にかけての都市・市場政策。従来楽市・楽座令は,戦国大名および織豊政権が領国経済の統一,その中心としての城下町の繁栄を目的として発布したものであり,楽市は城下町を課税免除,自由交易の場とするために,楽座は独占的な商工業座の解体を目的とした政策であるとされてきた。
https://kotobank.jp/word/%E6%A5%BD%E5%B8%82%EF%BD%A5%E6%A5%BD%E5%BA%A7-1214491
これは信長より、以前からあったという説もありますが、とにかく城下町を発展させるために税金を下げ、
独占的な組合のようなものを解体しようとしたのだと思います。
これを現代に当てはめると、道州制導入後の、法人税の安い九州のような政策に活かせますね。
その他にも、信長は経済力を持っていた宗教団体を味方につけて、財政をインフレに持っていったなんて話もあります。
単なる暴れん坊とは思えなくなる。
歴史を裏側から見ると、とても面白く、現代の自分の生活に活かすことができます。
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歴史には現れない、庶民の歴史を研究する民俗学
歴史は、大物の伝説と記録です。
当時生きていた庶民の人々の記録はほとんど残っていないでしょう。
そんな、庶民の暮らしを研究するのが民俗学です。
民俗学
みんぞくがく
folklore民俗学は、文化の進んだ国あるいは民族について、一般庶民のつくりあげてきた文化の今日に至るまでの発展の模様を研究するものである。そのより古い文化の姿を知るについて、進んだ庶民生活のなかになお残っている古い文化の姿、いわゆる民俗とか民間伝承というものを尋ねてゆくことを特色とする。ときに民俗資料と対比される文献資料にも、その当時の民俗の一端を明らかにするものが数々あり、庶民生活の姿をその時代性とともに伝えてくれるもので、やはり民俗学の貴重な資料となる。いったい、文化の進歩は一国一民族のうちすべての人々に一様に現れるものではない。
信長や武田信玄だけが歴史ではない。
一般庶民も文化を作り上げてきたし、それが現代にどう影響を与えているか、どのように残っているかを研究することで、見えてくるものもあります。
民俗学と言えば、柳田国男氏が日本では有名ですが、
僕のおじいちゃんも福岡で、民俗学の研究を行い、本を出版しています。
おじいちゃんいわく、
「歴史とは、勝者の記録。弱者の歴史を明らかにすること。それが私に課された使命」
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これからは、個人が歴史を紡いでいく時代
これからの時代は、より個人での発信が高まります。
個人の歴史を発表する機会が増えています。
僕は大学卒業後、30歳までプロを目指して、アルバイトをしながらバンド活動していました。
この歴史も、教科書的な観点から見たら、単なる道楽者でしょう。
でも、民俗学的視点に立ってみると、
「好きなことをするためには、ある程度のお金が必要。そして、世の中のあらゆるものが価値と、その対価報酬で成り立っていることを学ぶ、いい機会になった」
と書くことができるのです。
そんなことを考えてみると、Facebookなんかも、長い目で見ると、
個人の歴史が詰まった、民俗学的資料になりうると思ったのです。
教科書的に、自分の歴史を美化してもいい。
後から振り返ったときに、過去の体験が今に活きていると、修正してもいい。
これからは、個人が自分の歴史を、自由に紡いで、
残していくことができる時代になった。
とても自由な時代になったのだと、改めて感じたのでした。
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