カウンセリング 自己との対話を通し、トラウマを解消する方法

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今日は、自己との対話を通して、カウンセリングを自分自身に行い、トラウマを解消する方法をお伝えしたいと思います。

これまで幼少期に豊富な資源のもとで何不自由なく自由に育ち、大人になってからも自分の思い通りに生きて、

今が順風満帆で、毎日喜びと幸せで満ちあふれているような毎日を送れている人は、読む必要はありません。

4月に自分でカウンセリングを行おうと思った出来事

僕は2週間に一度、統合失調症の治療のために、病院に通っています。

いつも担当してくれるのは、僕の話を真剣に聞いてくれる、素晴らしいお医者さんです。

ふとしたきっかけから、今年の4月に一度だけ、別のお医者さんの診断を受けることになりました。

彼は、開口一番、こう言いました。

「加治くんは、統合失調症じゃないね。飲んでいる薬の量があまりにも少なすぎる。自分の考えもしっかりしているし、

論理も通っている。何か別の症状かもしれない」

僕は、「うっそーん」と思いました。

これまで数々の病院で、統合失調症と診断されて、2年以上薬を飲んで、悩み続けていた日々は何だったのかと。

それと同時に、このお医者さんは理解してくれている。

ものすごく優秀な人であることが、会話をしているうちにわかってきました。

彼は続けました。

「統合失調症的な部分も軽く入っているが、自閉症スペクトラム、つまり、大きく言うとADHDの傾向も見られる」

僕は思いました。

(もう、何でもありやん。とにかく診断名をつけて、原因がわからないものを、わかりやすくしているだけだ。

自閉症の僕が、渋谷のライブハウスで、ステージに立って、ドイツ行きの切符をかけて、ギター演奏できるわけがないじゃないか。

もう、薬を飲ませるだけの、医者というものに、従わないようにしよう。自分でなんとかしよう)

売上のために、薬を飲ませる医者が多いでしょうと、彼に質問してみました。

「そういう医師が大半であることは、事実だと思う」

正直だなあと思いました。

そしたら、解決方法はあるんですかと、僕は彼に問いかけました。

「加治くんが社会に合わせるのではなく、社会が加治くんの場所を作ってあげること。

Payできないかもしれないが、加治くんが好きなこと、得意なことで世界を作って、その中で居場所を見つけて生きていくこと。

そのために、これから長い時間をかけて、医師、看護師などのスタッフと、対話を続けていくことだね」

そうか。本当によくわかってくれている。やったあ!

待てよ。Payできないかもしれないがって。

Payできないと、暮らしていけないやん。

世の中に価値を提供して、その対価報酬で人間は経済活動を行って生きているんやん。

俺は、経済活動の外で、自分の世界で、貧乏に生きろってことか!?

「先生、ありがとうございます。これから、自分の世界、自分の場所を見つけて、社会と折り合いをつけていこうと思います」

僕は、こう語った後、もう長い時間、医者と話すのが無意味だと悟った。

そして、自分でなんとかする方法はないかと考えました。

カウンセリングとは、自己との対話である

僕は、カウンセリングの情報を調べまくりました。

そして、統合失調症との関連も調べまくりました。

そしたら、とある統合失調症患者の生還のドキュメンタリーを見つけました。

アメリカの2人の女性。幼い頃に性的虐待を受け、統合失調症を発病し、薬漬けになり、

自殺企図を何度も繰り返した。

そこから、カウンセラーと出会い、対話を続けているうちに、症状がなくなり、

今では幸せな生活を送れているという内容。

(やはり、カウンセリングはいいものなんだな)

でも、そのドキュメンタリーに出てきた女性は、30年以上治療をおこなった人でした。

(またまた、長い話だな。時間をかけている時間はない。もう自分でやるしかない)

日本の経営者で10億円以上の売上がある人は、ほぼ占い師、アドバイザーを抱えている。

外資系企業では、会社にカウンセラーがいますし、VP(日本でいうところの部長クラス)になると、

個人的にカウンセラーを雇っている人もいます。

彼らがなぜ、そんなことをするのかというと、日々が重大な決断の連続で、

自分では決められない。決断することに相当のストレスを抱えているからです。

僕は、社長でも、VPでもないので、カウンセラーがいません。

調べていくうちに、日本の精神医療制度には、カウンセラーの概念がないことに気づきました。

カウンセリングが症状の改善に効果があるにもかかわらず、日本にはその制度がない。

僕は、日本は完全に遅れているとおもいました。

そして、自分で自分をカウンセリングするという、賭けにでました。

具体的自己カウンセリング方法

ここから先は、自己責任で行ってください。

僕はたまたま、劇的改善が見られました。

しかし、医師の話によると、過去のトラウマをうまく消化できず、マイナスの効果を引き出してしまう可能性もあるということ。

1 まず、幼少期の自分に語りかける

僕は2歳の自分と2時間くらい、話しました。

母親から受けたこと。父親から受けたこと。

怖かったなあ。

でも君は悪くない。

大丈夫だ、僕が守ってあげる。

2 思春期の頃に形作られた、歪んだ認識を改める

僕は14歳のときに、ギターを手にしました。

音楽にのめり込んでいきました。

自分が本当にやりたいことは、これだと思いました。

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でも、その時点で、すでに受験戦争、いい大学に行って、いい就職先をみつけるという流れに、乗せられていました。

中学、高校と、5番という成績を保つことだけに、喜びを感じていた。

それを両親が喜ぶと思っていた。

もう中学ぐらいから、自分が何をやっているのか、わからなくなっていました。

学校の授業が、全くおもしろくもなく、意味もわからない。

なぜ学ぶのかもわからない。

とりあえず、試験、授業、課題。

僕は丸暗記していただけです。

そして、丸暗記が終わったら、そのストレスを解消するように、ギターを弾いていた。

問題は2点あります。

まず、この苦しみが、親からの愛情だと思ってしまうこと。

世の中に、自分は親から愛されていないと思う子どもなんていないでしょう。

僕は男子校で、受験戦争での苦しみが、親の愛情なんだと思ってしまった。

本当にやりたいことを、押し殺して、世の中に合わせていくことが、愛だと思ってしまった。

だから、大学で東京に行き、とにかくバンドをやりました。

外に出るのが怖い中でも、バンドはがんばれた。

そこで、苦しみを撒き散らして、「これが愛なんだ。愛とはなんなんだ」とギターをかきむしっていました。

当然、そんなものを受け取ってくれる人なんて、ごく少数です。

単なる、若者の欲求不満と、間違った愛のエネルギーを受け止めてくれる人なんて、そうはいません。

だから、幼少期から思春期にかけて経験した、本心からの行為でないもの。

虐げられた状態。自由を奪われた状態。押し付けられたもの。強制されたもの。

それが愛ではない。

まず、そこの歪みを正す。認知を改める。

愛とは、僕が30歳の頃に経験した、恋愛体験のようなものであるということ。

人が喜ぶ姿がみたいとか、人に無償で与えたいとか、一緒にいて嬉しいとか、楽しいとか。

認知の歪みを正したところで、ふと肩の荷が降りたようなきがしました。

今まで首のあたりに背負っていた、重りのようなものが、すうっと取れていく感覚になりました。

それと同時に、目の前に映る景色が、まるで14歳の時に初めていった海外旅行の経験のような感覚を持っていました。

シンガポール、オーストラリア。

鮮やかで、きらびやかな世界。広大な自然と、笑顔あふれる街の人々。

こんな世界が世の中にはあるんだ。

そう感じたときの感覚が蘇ってきました。

3 トラウマの原因を作った人をゆるす

これは非常に難しいことです。

親、教師、教育、固定観念、常識。

これらは、自分たちが正しい。愛を持って行っていると思っています。

なので、相手が嫌がっていたとしても、関係ない。

トラウマになるような行為を行っても、それが愛情だと思っています。

僕は、自分を未熟児で産んで、固定観念にとらわれた教育を施し、

受験戦争のレールに乗せ、ギターを弾くことを否定し続けた両親を恨みました。

統合失調症の、完治のない、原因不明の病を作った元凶であると恨みました。

でも、それは、両親に自分の意思がなく、社会常識に沿って、愛情を持って施してくれたことなんだと、ゆるすことができました。

初めての子どもで、未熟児で死にかけたので、挑戦をさせることなく、どう育てたらいいかもわからず、とりあえず、危険から僕を避けさせて、守ろうとしたのだろうと、理解ができました。

決して経済的に裕福ではなかった家庭環境で、無理をして、私立学校に入れて、

経済状況を圧迫しているのに、ギターを弾きまくっていることが、許せないのも理解できました。

父親は教師でした。

髪の毛をちょっと茶色にしただけで、理由なく殴られました。

父親が、父と息子という関係ではなく、教師として、自分に向き合っていたことも理解できました。

教師というものが絶対に正しく、生徒を無条件に暴力を使って指導していくことも理解できました。

このような環境の中で、社会経験の少ない母親が、父を頼り、

何をするにしても、

「お父さんに聞いて」

と言っていた理由も、わかるような気がしました。

僕の他に、妹、弟もいて、家計をやりくりしていくことに、必死になっていた気持ちもわかりました。

僕は両親を憎むのをやめました。

今では、ただ自分の意思で、生きてきたのではなく、社会常識に沿って生きてきた人なんだと許せるようになりました。

ただ、子どもを育てることに必死で、自分の好きなことを我慢し、愛情を注ぐことが親なんだという責任感のもとで生きてきたのだということがわかり、許せるようになりました。

みなさんなら、社会人になって、20代で気づくようなことでしょうが、

僕は、両親を許せるようになるまでに、36年もかかりました。

そして、今では、僕の思春期に、ボロボロのエレキギターと、アコースティックギターを残してくれていた、

両親に感謝できるようになりました。

父親がエレキギターをやっていなかったら。

母親が、学生時代にアコースティックギターを弾いて歌っていなかったら。

僕の思春期に、ギターはなかったかもしれません。

こうして、僕は

1 幼少期の自分を認め、励まし

2 思春期のトラウマを理解し、間違った愛情表現を正し、

3 トラウマの元凶となった、人物、環境、制度、社会常識を許す

この3つのステップで、自己との対話、自己カウンセリングを終えたのでした。

今ではスッキリしています。

自分のやりたいこと、好きなことに嘘をつかず、

無理に社会に合わせて生きる必要もない。

一度死んだ人生だ。

怖いものなんてありません。

もちろん、Payする方法から、逃げたわけではありません。

自分勝手に生きようとしているわけでもありません。

この先、自分に嘘をつかずに、Payできる点が必ず見つかると思っています。

長くなりましたが、ここまで読んでくれた皆さん。

本当にありがとうございます。

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