統合失調症について

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こんにちは、加治タケキです。

今回のテーマは、統合失調症について。

約3年前に、僕が発症した病気です。

皆さんに罹ってほしくないので、記録します。

まず、軽いうつ状態から統合失調症は始まります。

自分でもうつ病になっちゃったかなと思って、軽い気持ちでメンタルクリニックを受診しました。

この時点で、かなり病状は悪化していました。

まず、自分のうつ状態に気づいたら、ひたすら休むことが重要です。

ある病院の先生が最近本を出しましたが、ほとんどのうつ病が、睡眠時間の確保により、自然と自己治癒力により治るそうです。

なので、僕のように、病院にかかって、医者の言うこと素直に聞いていると、薬づけにされる可能性もあります。

当時の会社の上司には、自分の状態が悪いので、休みをくれとお願いしていました。

しかし、人が入るまでに何かと手続きが必要だとの理由で、先延ばしにされ、どんどん悪化していきました。

まず、統合失調症の症状として、特徴的なのが、誰かに何かを言われているとか、覗かれているとかの幻覚、幻聴の類です。

この前も、誰かに覗かれているなどど警察に通報し、あげくの果てに我が子を殺して、自殺を図った女性がいましたが、おそらく統合失調症の可能性が高いです。

僕は、幻聴に悩まされました。

街ですれ違う人に、「働けよ」とか「うつ病」とか言われているような、幻聴が現れ始めました。

通勤時の電車の中でも、幻聴は聞こえ、うつ状態で体もふらふらで、通勤の40分で、会社に着く前にクタクタになっていました。

2014年1月に初めて病院を受診して、いっこうに良くなる気配がないので、10月に病院をかえました。

そのクリニックが薬を大量に出すところでした。

抗うつ剤、抗不安薬、睡眠薬。

8種類くらいあり、もうどれを飲んでいいのかわからない状態でした。

とにかくひたすら歩き回りたい衝動にかられ、家を出て5分歩いて、かえってきてまた外に出て5分歩いてという異常な行動を繰り返していました。

だんだんと眠れなくなってきて、深夜の街を歩き、明け方までひたすら歩き、次の日もずっと歩いていました。

そのうち、人の目が気になり、外に出ると、人にすれ違うたびに「うつ病」「働け」という幻聴が聞こえてくるので、全く外に出られなくなりました。

歩き回りたい衝動と、外に出られない恐怖感に挟まれ、ベッドの上で、本当に何をしていいのかわからなくなりました。

そこからリスパダールという抗精神病薬の副作用が出始めます。

だんだんと体が動かなくなってきて、歩けない状態になりました。

もう無理だと会社に連絡し、死ぬ思いで何とか会社にたどり着いて、相談し、休職扱いになりました。

2014年11月の事です。

副作用はものすごく、体が言うこときかなくなり、ついにベッドから起き上がれなくなりました。

弟と当時同居していたのですが、弟がいるという気配だけで、眠られなくなり、睡眠薬をいくら飲んでも眠れなくなりました。

眠れなかった次の日は、体がだるく、睡眠不足。食事をするにも、体が動かず、部屋にあった、プロテインだけ飲んで、何とか過ごしていました。

SKYPEで福岡の両親に現状を話していたら、東京まで来てくれました。

弁当などを買いに行ってくれて、何とか食事の心配はなくなりました。

あのタイミングで、家族の支えがなかったら…。

病院に行くにも、体が動かないので、駅まで徒歩5分のところを、20分くらいかけて、行っていました。幻聴が聞こえないように、イヤホンで音楽を最大にして。

そして、とうとう病院の診察の日、家の階段を降りられなくなりました。

靴も自分で履けない状態になりました。当時の彼女に助けてもらい、タクシーに詰め込まれるようにして、病院に行きました。

自分の力でタクシーに乗れないくらい、筋肉が自分の言うことをきいてくれなくなったのです。

そこで、緊急入院が決まりました。

点滴で今までの薬を全部出す作業から。

入院中もひたすら、廊下を小さな歩幅で歩き回る毎日。

入院生活が嫌で嫌で、回復した風に見せかけました。

2014年12月入院。2015年2月退院。

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しかし、その後も病状は回復せず。

もう一人暮らしも、通院も、出来る状態ではありませんでした。

ベッドに横たわり、ずーっと天井を見上げているだけ。

雪で寒い中、体も動かず、三鷹の駅から、病院まで、傘さして歩いた道は、今でも忘れられません。まるで、死刑囚が、13階段を登っていくような心境でした。

再び福岡から父親に来てもらい、実家の福岡に帰ることになりました。

当時僕は、会社に復帰するつもりでしたから、相当決断に迷いました。

福岡に帰ったら、人生が終わってしまうのではないかと思いました。

しかし、もう一人で生活するのは不可能でした。

彼女と父親に挟まれて、飛行機に乗り、何とか1時間半のフライトを乗り越えました。1時間を越えたあたりから、歩き回りたい衝動にかられ、飛行機をずっと歩きました。そして、人目につかない、CAさんが待機する場所で、じっとしていました。

福岡空港に到着後は、開放感から、旅行バッグをその場に放り投げ、やっとたどり着いたという感じでした。

妹が迎えに来てくれていました。

そして、現在住んでいる、福岡の実家に暮らすことになりました。

当時の状況を僕は、こう家族に表現してました。

「毎日50キロの重りを背中に背負っているみたいだ」

2015年2月からの長い闘病生活。

2015年8月に退職。

2016年4月頃から、ようやく体調が良くなり、自分の力で働きたいと思うようになりました。

それまでの生活は、会社の健康保険に加入していたので、傷病手当というものが出て、給料の3分の2が毎月出ていました。

外で働くとまたストレスが溜まり、再発のリスクがあるので、

パソコンで何とかビジネスができないかと模索しました。

それまでの貯金のほとんどを詐欺みたいなビジネスに使ってしまいました。

もう、焦っていたのです。

こんな薬漬けの生活から抜け出して、自分で稼いで、俺は自由に暮らすんだ。

大好きな酒も、車の運転も、2年以上も我慢して。

そんなことで、俺の人生に何の意味があるんだと思いました。

悔しくて、神を恨みました。

何で俺だけ、こんなことになるんだと。

真面目にやってきたのに、3年もの空白が、自分の人生にできてしまったと。

でも今では、ようやくこの病気を克服できたような気がしています。

統合失調症に完治はありません。

でも、僕の意識の中に、もう病気だという意識はありません。

打ち勝ったら、再発などしないと思っています。

俺はもう、勝ったんだ。だからいつでもかかってこいと思っています。

病気治療中に、健康の大切さに改めて気づかされました。

健康でないと、何も出来ません。

大好きなものを、我慢しなければいけない状況、何もかも、楽しいことがなくなってしまった世界を想像してみてください。

それが、病によってもたらされる可能性は、みなさん持っています。

人は普段、自分が健康であることを意識しません。

今、自分が好きなものを食べられ、自分の足で歩き、人と笑い合い、愛する人が支えてくれることに、感謝してください。

長くなりました。

僕はもう大丈夫です。

運転もできるようになったし、医者からは止められていますが、酒も祝いの席では飲んでいます。

多額のお金を使ったのも、いい勉強になりました。

世の中、甘くねえなあと思いました。

そして、夢を、再び夢を見るために。自分が好きなように、生きるために。

再び音楽ができるように。

ステージでギターが弾けるように。

命を賭けるビジネスが見つかったのです。



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